ちょっと昔の話です。
それは、息子の中学の卒業式のこと。体育館は紅白幕で飾られ、床にはシートが敷き詰められて椅子がぎっしり並んでいた。
生徒がいっぱいでウチのコドモが見つからない。ようやく見つけた息子は、最初から最後まで、何べん見ても可愛かった。(親バカごめんなさい。)特別な役などな〜んにもしない、その他大勢の中学生、だけど、母から見たら、あなただけがダントツ可愛い。素直な笑顔が大好きだよ。
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式は粛々と進んで、代表の子が前に歩み出る。送辞が読まれる。すごく上手。ゆっくり、はっきりと大きな声で、不自然なほどだけど、卒業式らしい。もともと優秀なお子さんが選ばれた上に、ずいぶん練習させられたんだろうな。
答辞が始まった。これまた立派で素晴らしく、かつ、驚くほど長い。
感動したのだろうか、母親たちが涙を拭い始めた。
・・・だけど、私はだた長くて、呆れていた。
だって、いつもながらの決まり文句ばっかりなんだもん。
「友と友情を深めあった部活動」「お母さんの作ってくれたお弁当は世界一おいしいごちそうでした」「優しく励ましてくれた先生方」「一家の大黒柱として一生懸命働いてくれたお父さん」「ありがとうございました」・・・
お母さんは優しく、おいしい弁当を作る。お父さんは家族のために働く。育ててくれてありがとう。先生は優しく時には厳しく、部活、友情、修学旅行、みたいな。
決まり切った役割分担と常套句が川のようにながれていく。
なんだかもどかしくて、その子に言いたくなる。
あなたの心から出てきた言葉を、言ってごらんよ。
本当に思ったことを、自分が見たことを、本物を聞かせてちょうだいよ。
・・・まあ、わかってはいるけどね。
卒業式なんだから、式典なんだから、仕方ない。先生の検閲もあるし、オーソドックスが間違いないもんね。
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ところがね、その後に続いた校長先生のお話は・・・ぜんぜん違ってえらく個性的だったの。
送辞、答辞があれほど型にはまっていたのとは対照的に。
その年の流行語大賞4点をすべて織り込み、途中でエグザイルの曲まで流して、全編、校長先生のオリジナルのご挨拶だった。
聞いていて面白かったこともあるけど、それ以上に嬉しかったのは、手作りの言葉だったこと。
私たちの子供の卒業式のために、一点ものをあつらえて贈ってくれた。
オリジナルっていいな。この世に一つのもの。体温を感じるもの。でこぼこした、個性のあるもの。
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式が終わって、帰宅してくつろいでるときに、
「送辞も答辞も読み方が上手で素晴らしかったけど、ちょっとつまんなかった。その人の心からの言葉が無かったんだもん、決まり文句ばかりで」
と言ったら息子は、
「決まり文句の心の人なんじゃないの?」
この子の言葉には、ときどきハッとさせられる。