ここ、通ったことがある。町外れの、寂しい道。あのときは同級生の車が何台も何台も、10台くらい連なって、走って行ったんだ。
高校の同級生だったK君が、亡くなったと連絡がきて。
同じクラスだったけど、ほとんど話をした覚えもない。私も地味だったし。ただ、「地元にいるやつらだけでも行こう」と連絡が来たから、行ったのだった。
集合場所は高校。みんな自分の車で乗り付けた。とすると、あれは大学を卒業した後、20代半ばぐらいのことだったか。
道を知っている、K君と仲の良かった子が先頭になり、それに続いて次々と、車を連ねて走って行った。田んぼの中の、見通しの良い田舎道だった。
K君の家で、迎えてくれたのはたしかお母さん。笑顔の遺影のK君に、みんなでお線香をあげた。写真は笑顔で、面差しは変わってなかった。変わるほど時間がなかったもんね。病気だったという。
それがお葬式だったのか、お彼岸か初盆だったのかも、よく覚えていないの。
今もひどいけど、昔は若くてもっと思いやりも無くて、他人の痛みに思い至らなかったわ。しばらくぶりのクラスメイトの集まりにむしろはずんだ気持ちでいて、20代の若さで人生を絶たれたK君の無念を思いもしなかった。亡くなる日まで、どれほどの苦しさ、悲しさを耐えたのか。
また、大人になったばかりの息子を失うなんていう、信じられない不幸が身に降りかかった母親の気持ちも、考えもしなかった。お母さんはあのとき、どう思っていたんだろう。社会に羽ばたいたばかりの、輝くような未来を生きていく、健康で若い私たちを見て。
あの時のお母さんよりたぶん年をとって、自分の子どもも20代になって、癌という病気にもなって、今になってあの時のことをいろいろ思う。