FIREしげおちゃん

思い出

しげおちゃんが亡くなって、1年になる。

父は7人兄弟の長男で、しげおちゃんは下から2番めの弟だ。

へんくつなしげおちゃんは、50代前半で会社員を辞めてしまい、そのまま東京でひとり暮らしをしていた。が、70歳を過ぎて、うちから離れた県内の片隅に小さな家を180万で買って移り住んだ。

はっさく
はっさく

実家の県内、だけど離れてる。これがしげおちゃんの気持ちの距離だったのかな。

恥ずかしがり屋で社交性が無くて、でも、口のきき方は偉そうで。めんどくさい男だったしげおちゃん。見た目はダンディないい男だったのにね。

いっぺん、父と妹と私で様子を見に行った。

不便な場所に建つひどく湿気がこもる家で、「不動産屋に騙された」と言っていたっけ。

スーパーもホームセンターも、自動販売機さえ遠くて、アップダウンのある道を、たくましく自転車を漕いでいた。父が心配して尋ねると、月12万の年金でやりくりしている、毎月なるべく残すようにしていると言っていたそうだ。

住所の市役所から連絡が来たのは、寒い季節。脳梗塞で入院しているという。住民票からうちをたどったらしい。倒れた時は、自分で救急車を呼んだそうだ。

そこから再び関わりが始まった。父は昔の長男だったから、弟に責任を持った。で、父は高齢なので、私たち姉妹が手伝った。

その後、しげおちゃんは退院しないうちに2回目の脳梗塞を起こし、要介護になり、施設に移ったら2年も経たずに亡くなった。コロナでほとんど面会もしないまま。

早い時期から働くのをやめたとき。

湿気でカビだらけの小屋で、周囲と付き合いもせず(自治会に入らないからゴミもだせずに)一人暮らしをしていたとき。

施設の費用って高くて、しげおちゃんのわずかな貯金が尽きたらウチが払うのか?と青ざめながら書類にサインをしたとき。

何度か心配なときもあったけど、最後までお金の面倒はかけずにやりきったねえ、しげおちゃん。

FIREだよ。FIRE成功だよ。

はっさく
はっさく

私もへんくつで何年いても会社には馴染めない。FIREしたいよ、しげおちゃん。

人付き合いが下手なしげおちゃんなのに、会社はけっこう続いたね。

50歳ソコソコで辞めた、決意のきっかけは何だったの?私はその勇気がでないのよ。

退職後の一人暮らしは楽しめたかな?何が好きだったの?

病院は出たいってもめたけど、施設では言わなかったね。いろんな人に囲まれて、案外楽しかった?だったらいいんだけど。

FIREの先輩、めんどくさいけど、身内だからなんだか憎めないしげおちゃんに、いろいろ聞いてみたかったな。

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